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2009年07月08日

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2009年、ジャイアンツは球団創立75年目を迎えた。アラフォー世代の Shinorar も気が付けば野球フリーク、ジャイアンツファンになってから30年が過ぎた。

親父からグローブを買ってもらい、初めてキャッチボールをした1976年、テレビで観た王貞治のホームランがきっかけでジャイアンツファンになる。しかし野球のルールは知らず、テレビに疎い幼稚園児だった為、王選手以外の選手、ましてや長島茂雄の存在すら皆目分からず。

1977年、王選手がハンクアーロン氏の本塁打数を破る756号を放ち、テレビ越しで歓喜に沸く。また、この年から柴田、高田、張本、柳田、原田、淡口といった王選手以外の選手の名前を習得。たまたま覚えた選手が右打者より左打者が多かった影響からか、この年を機に左でバットを振る回数が多くなった。 ( 今現在も基本は右利き ) 

1978年、その矛先が投手にいき、新浦、角投手等の名前を習得。堀内を抜いて、ジャイアンツのエースに君臨した新浦投手に憧れ、右投手から左投手へ変貌。

1979年、江川投手がジャイアンツへ入団。世間では「エガ悪」と騒がれてた頃だが、当時は何のことだかさっぱり解からず。 ^^;

1981年、この頃には当時のジャイアンツ選手登録選手をほぼ把握。長島茂雄氏の偉大さを把握したのもこの年。(エガ悪の真相も把握) ファンの冒頭に「筋金」が入った最初の年と言えよう。

東海大学からジャイアンツへ入団した原辰徳が22本塁打を放ち新人王を獲得。松山商業出身の西本聖が18勝を挙げる大活躍。更に中畑選手の負傷により出場機会を得た篠塚和典(当時は利夫)が大ブレーク、そして彼の打撃フォームに憧れを持ち始める。 (現在進行形 ^^;) 

1985年、エース・江川が100球病に掛かる不振ぶりに直撃。それに追い討ちを掛けるように、いけいけどんどんのタイガースフィーバーに呑まれ、友人の中でもタイガースファンが急増。また、シーズン本塁打記録が掛かったバースへの敬遠攻め、ドラフト会議(通称KKドラフト)における一連の騒動をメディアを通じて拝見し、ジャイアンツへの愛情が一番揺いだ年であったが、王さんが監督として務めてた為スワップせず。

1986年、優勝争いの真っ只中で頭部へのデッドボールを受けたクロマティ選手の活躍ぶりに感銘を受け、前年の揺らぎが一掃。

吉村選手の大怪我、10・8決戦を観てるうちに社会人となり、ゲーム会社へ就職するも、野球への道を捨てきれず、1998年に小さいソフトウェア会社へ転職。そして1999年、夢にまで見たジャイアンツ球団関係者との出会い。密な関係はわずかに3年余りであったが、そこで得た恩恵は今も生きている。( 特典 : 事前アポを取っての顔パス + 定価でチケットが買える )

21世紀に入り、FA選手の相次ぐ強奪、ユニフォームから「TOKYO」が消滅、渡辺オーナー(当時)の度重なる不適発言の影響により、仲間が消え(ジャイアンツファンを卒業した野球ファンの急増)、他チームファンから冷たい視線を浴びるも、選手・スタッフを信じ、我意に介さず。( 球団関係者との出会いがそうさせたのは間違いない。 )

そしてファン歴33年目を迎えた2009年、元気の源には、かみさんとジャイアンツが存在している。
この先、揺らぐ事は決して無いであろう。

投稿者 shinorar : 2009年07月08日 00:28

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