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2009年02月07日

10・19 その1

いつもの事だが、長期にわたりブログを滞ってしまったが、ある番組を見たのをきっかけに久々の投稿。
(お金払ってサーバ借りてるんだから活用しろ!との意見もあるが・・・(^^;; 仰るとおり)

現在、テレビ朝日では開局50周年を記念した番組「50時間テレビ」が色々と組み込まれているが、今日はその中の一つ「伝説のスポーツ名勝負・壮絶!!舞台裏の真実」が放送され、スポーツ好きの身分である自身も視聴した。

中でも釘付けとなったのは1998年10月19日に行なわれた川崎球場でのロッテ-近鉄戦のダブルヘッダー、後に語り継がれてる「10・19」決戦である。

番組では約30分弱の編集で構成されてた模様だが、20年以上経過したせいか、内容の一部は風化され、その日に起きた出来事を全て網羅されたものではなかったように感じた。その故に、野球好きの身分から当時の出来事を振り返っていきたい。

ペナントレース終盤に入った昭和63年9月19日、昭和天皇が吐血されたニュースが全国へ発せられて以降、各テレビ局は連日、「天皇陛下は○○CC吐血され、××血液を輸血された」という具合のニュースが流れるのが当たり前となっていた。

後に星野監督率いるドラゴンズが10月7日、ナゴヤ球場でスワローズを破りセリーグ制覇を果たすも、昭和天皇の病状を考慮し、ビールかけは自粛。

一方、パリーグは8月半ばまでライオンズが2位以下を8ゲーム以上突き放す独走状態。9月15日時点でも2位・近鉄バファローズとのゲーム差は6。ライオンズのリーグ4連覇がそこまで見えていた。しかし、ここからバファローズの奇跡的な快進撃が始まる。

9月終了時点でライオンズとのゲーム差は一気に1.5まで切迫。そして10月4日にはバファローズが2位にもかかわらず、優勝マジック「14」が点灯した。そして5日の試合にも勝ち、勝率でもライオンズを抜き首位に立った。

しかし、バファローズには10月7日から19日まで休み無しの試練の15連戦(10、19日はダブルヘッダー)が待ち構えてた。

ライオンズ、バファローズのリーグ争いは日に日にヒートアップ。そしてライオンズは16日に勝利を収め、73勝51敗6引分、勝率.589でバファローズより先に全日程を終了。2位バファローズを0.5ゲームリードして、バファローズの動向を待つ事となった。

17日、バファローズは当時2年目のサウスポーエース・阿波野秀幸を投入するも、阪急ブレーブス相手に1-2で痛恨の敗戦を喫した。この時点の順位は以下の通り。

ライオンズ  73勝 51敗 6分 勝率.589 全日程終了
バファローズ 72勝 52敗 3分 勝率.581 残り試合3

この時点でバファローズが優勝するためには、残るロッテオリオンズ3連戦に全勝するしかなくなった。翌18日、バファローズは川崎球場へ移動し、オリオンズ相手に12-2で完勝。

そして、運命の10月19日を迎えることになった。

高校3年生であった当分は授業を終えすぐ(多分?)帰宅し、センター試験へ向け携帯ラジオをBGMに勉強を始めた。ラジオを点けりやいなや、最初に飛び込んだプロ野球関連のニュースは「阪急ブレーブス身売り!! オリエントリースへ譲渡」であった。当時、南海ホークスが身売りするのでは・・・との噂が新聞を賑わしてたが、阪急に関しては全くの青天の霹靂であった。パリーグ(リーグ優勝争い)の動向を一気に吹き飛ばす衝撃的なニュースであった。

加えてこの日は リクルート事件( リクルートコスモス(現 コスモスイニシア)社の未公開株を賄賂として受け取ったとして、政治家や官僚らが次々に逮捕された汚職事件) でリクルートコスモス社長・松原弘(当時社長)の家宅捜査が始まった事、そして世界を襲ったニューヨーク発 「ブラックマンデー」(株大暴落。因みにうちのかみさんは「ブラッディ・マンデーと絡んでるの?」と仰ってました・・・なんと返せば良いのやら・・・) から1年を迎える事がニュースとして取り上げられた。

そんな中、オリオンズ-バファローズのプロ野球速報が流れ、第1試合は4-3でバファローズが逆転勝利を収めた、とのニュースが流れた。


~試合回顧~


そして、午後3時、第1試合が始まりました。先発投手はオリオンズ小川博、バファローズ小野和義。
初回、オリオンズは、愛甲のホームランで2点を先取。一方、バファローズは5回に鈴木貴久のソロホームランで1点をかえしたものの、7回に1点追加され1-3の苦境に立たされた。しかし8回表、この年控えに回っていた村上隆行の左中間フェンス直撃となる2点タイムリーで3-3の同点。

バファローズにとって「引き分け」はシーズン終了を宣告される事と同じ。しかも、9回までに勝ち越さなければならない。

9回表、1アウトから淡口の2ベースでチャンスを作り、彼の代走として佐藤純一選手が登場。一方、オリオンズも逆転を阻止しようと、リリーフエース・牛島和彦を起用。
しかし、バファローズの執念が上回り、次のバッター鈴木 貴久にヒットを痛打。しかしホームへ急ぎすぎたのか、佐藤は三本間に挟まれ3塁ベースへ戻るも寸前でタッチアウト。ファンの誰もが「ここで終わりか」と感じた筈。

ここで、バファローズ・仰木彬監督はベテランの梨田昌孝を代打として起用。彼はこの試合を前に、今季限りの引退を心中に決めていた。しかし、これまで築き上げたもの全てを掛けてバッターボックスに立った。球場全体が見守る中、梨田は詰まりながらもセンター前へヒット。2塁ランナー・鈴木は満身創痍の体に鞭を入れ、ホームに滑り込んだ。判定は間一髪の「セーフ」!! バファローズついに4-3の勝ち越し。川崎球場全体がまるでバファローズ逆転優勝が決まったかのようなお祭り騒ぎ。ホームに帰った鈴木はコーチ、選手、皆から手洗い祝福を受けた。

その裏、バファローズは2日前に完投した阿波野秀幸をリリーフとして投入。2アウト満塁のピンチを迎えるも、森田芳彦をシンカーで三振に討ち取り、逆転勝利を収めた。

「あっ、そういや試合してるんだった。でもテレビは映ってないし・・・どうしよう?」

当時愛媛県は民放が2局しか存在してなかったが(日テレ系列の南海放送、フジ系列のテレビ愛媛)、幸いな事に我が自宅は高いアンテナが設置されてたため、広島ホームテレビ(テレ朝系列)、テレビ新広島(フジ系列)を観る事が出来てた。しかし、テレビ欄には「ロッテ-近鉄戦」の文字は一切なし。仕方なく、ラジオの周波数を大阪・ABCラジオに無理やり合わせ、勉強をサボって試合の動向を聴いていた。

そして20時が過ぎ、家族と共に夕食を摂った。チャンネルをホームテレビに合わせ、20時54分のニュースを観てると、なぁんとオリオンズ-バファローズが流れてるではないか・・・。

つづく・・・

投稿者 shinorar : 22:16 | コメント (0)